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西田敏行さんを体癖的に読む|10種的な包容力と、人間味の大きさ

温かい劇場の舞台と柔らかな光を背景に、「西田敏行さんを体癖的に読む」「10種的な包容力と、人間味の大きさ」という文字が入ったアイキャッチ画像。
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西田敏行さんを体癖的に考えるなら、まず浮かぶのは「人間味の大きさ」です。

ただ明るい。
ただ優しい。
ただ面白い。
ただ演技がうまい。

そういう言葉だけでは、西田敏行さんの魅力は少し足りない気がします。

西田さんには、人間の弱さを丸ごと抱えるような大きさがありました。

情けない人。
だらしない人。
泣き虫な人。
欲深い人。
寂しい人。
調子がよくて、でも憎めない人。

そうした人間の弱さを、切り捨てず、笑いにも涙にも変えてしまう。

そこに、西田敏行さんの10種的な魅力があるように思います。

今回は、西田敏行さんを体癖論の視点から、一視聴者として考察してみます。

この記事の前提

体癖は「たいへき」と読みます。野口整体などで語られる、人の身体的特徴や感受性、行動傾向をもとにした分類の考え方です。

本記事は、西田敏行さんご本人の体癖を断定するものではありません。公に残された作品、役柄、番組での佇まい、人物イメージなどを材料に、「体癖的にこう見ると面白いのではないか」という一視聴者としての考察です。

また、体癖分析は一度で正解を決めるものではなく、観察し、比較し、仮説を修正しながら精度を上げていくものだと考えています。

目次
  1. 結論|西田敏行さんは、10種的な包容力の人ではないか
  2. 10種とは何か|開き、博愛、人が集まる力
  3. 西田敏行さんの魅力|人間を丸ごと抱える俳優
  4. 『釣りバカ日誌』の浜ちゃんに見る10種性
  5. 『池中玄太80キロ』に見る父性と母性
  6. 猪八戒に見る「欲」まで抱える力
  7. 『探偵!ナイトスクープ』局長としての包容力
  8. 10種は「善なる母」でもあり「裏ボス」にもなり得る
  9. 人が集まる人|前へ出ないのに中心になる
  10. 3種との違い|明るさではなく、包容
  11. 5種との違い|押し出す熱量ではなく、受け止める温度
  12. 7種・8種との違い|勝負ではなく、人情
  13. 9種との違い|集注ではなく、開き
  14. 10種の影|抱える人の孤独
  15. 俳優としての10種性|どんな人間も自分の中に入れる
  16. 消去法で見る
  17. 消去法のまとめ
  18. 壇蜜さんとの比較|白く沈む4種と、温かく開く10種
  19. 所ジョージさんとの比較|遊び場を作る人、帰る場所になる人
  20. 林修先生との比較|採点する知性、抱える人情
  21. 今回の暫定結論
  22. まとめ|西田敏行さんは、人間の弱さを抱える10種的な大きさの人
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結論|西田敏行さんは、10種的な包容力の人ではないか

まず、現時点での私の見立てを先に置きます。

西田敏行さんは、10種的な包容力・人間味・父性/母性・人が集まる大きさを主軸候補として読むのが最も自然に見える。
ただし、単なる“優しい人”ではなく、弱さ・情けなさ・だらしなさ・寂しさまで丸ごと受け止める俳優であり、そこに10種の明るい博愛と、抱える者の孤独が同時に見える。

短く言えば、

人間の弱さを、笑いにも涙にも変えられる10種的な大きさの人。

です。

西田さんは、強さだけを演じる俳優ではありませんでした。

むしろ、弱さを演じられる人でした。

しかも、その弱さを惨めなものとして突き放さない。

弱い人間も、情けない人間も、欲のある人間も、寂しい人間も、全部ひっくるめて「人間ってそういうものだよね」と見せてくれる。

この大きさが、西田敏行さんの魅力だったように思います。

10種とは何か|開き、博愛、人が集まる力

10種は、開閉型・生殖器型の偶数です。

同じ開閉型でも、9種が「閉じる」「縮む」「集注する」方向だとすれば、10種は「開く」「受け入れる」「包む」方向です。

10種は、単なる優しさではありません。

もっと身体的で、大きな包容力です。

人を受け入れる。
弱いものを放っておけない。
頼られると力が湧く。
小さきもの、幼きもの、弱きものに自然と手が伸びる。
人が集まる。

10種の魅力は、正義感や理屈で人を救うというより、もっと大きな身体感覚として、人を包み込むところにあるように思います。

だから、10種は「母性的」とも言われます。

ただし、これは女性的という意味ではありません。

男性であっても、10種的な人には、父性と母性が混ざったような大きな包容力が出ることがあります。

西田敏行さんは、まさにこの方向で見たい人物です。

西田敏行さんの魅力|人間を丸ごと抱える俳優

西田敏行さんの魅力を一言で言うなら、やはり「人間を丸ごと抱える力」だと思います。

かっこいい役だけではない。

賢い役だけでもない。

立派な父だけでもない。

どこか情けない。

欲がある。

泣く。

笑う。

怒る。

甘える。

調子に乗る。

でも、憎めない。

そういう人間臭さを、西田さんは非常に自然に演じられる人でした。

これは、俳優としての技術だけではなく、身体全体から出る包容力のようなものがあったからではないかと思います。

人間の弱さを、弱さのまま抱える。

情けなさを、情けなさのまま見せる。

そのうえで、それを笑いにも涙にも変える。

ここに、西田さんの10種的な大きさがあります。

『釣りバカ日誌』の浜ちゃんに見る10種性

西田敏行さんといえば、『釣りバカ日誌』の浜崎伝助、いわゆる浜ちゃんを思い浮かべる方も多いと思います。

浜ちゃんは、会社員として見れば、決して合理的な人ではありません。

出世欲で動く人でもない。

仕事最優先の人でもない。

組織の論理から見れば、困った人でもある。

しかし、人間としては妙に強い。

なぜか。

浜ちゃんの周りには、人が集まるからです。

肩書きで人を動かしているわけではありません。

権力で支配しているわけでもない。

理屈で説得しているわけでもない。

それでも、周りの人がいつの間にか浜ちゃんの空気に巻き込まれていく。

上司も、部下も、家族も、友人も、取引先も、どこか浜ちゃんの大きな人間味に入ってしまう。

これは、5種的なリーダーシップではありません。

5種なら、もっと前へ押す。

合理的に動かす。

目的に向かって人を進ませる。

浜ちゃんの力は、そうではありません。

もっと、ゆるい。

もっと、身体的です。

「まあまあ、いいじゃないですか」

「釣りでも行きましょう」

「そんなに難しく考えなくても」

というように、人を自分の大きな空間へ入れてしまう。

この「抱える空間」が、10種的です。

『池中玄太80キロ』に見る父性と母性

『池中玄太80キロ』も、西田敏行さんの10種性を考える上で重要です。

池中玄太は、体も感情も大きい人物です。

豪快で、涙もろく、人情がある。

ただし、そこにあるのは、単なる強い父性ではありません。

威厳で人を従わせる父ではない。

正しさで導く父でもない。

むしろ、弱さもある。

迷う。

泣く。

失敗する。

情けないところもある。

でも、最後には抱える。

この父性は、権威ではなく温度です。

強いから父なのではなく、弱さごとそこにいるから父になる。

この感じは、10種的な父性・母性にかなり近いように思います。

10種の包容力は、立派さだけでできているわけではありません。

むしろ、自分自身の弱さやだらしなさも含めて、人間を丸ごと受け止める。

西田さんの父性には、その大きさがありました。

猪八戒に見る「欲」まで抱える力

西田さんが演じた『西遊記』の猪八戒も、体癖的に見ると非常に面白い役です。

猪八戒は、欲のある存在です。

食べたい。

楽をしたい。

美女に弱い。

すぐ文句を言う。

あまりかっこよくない。

でも、憎めない。

これは、西田さんの俳優としての大きさをよく表していると思います。

普通なら下品になりかねないものを、西田さんは人間味に変えてしまう。

欲を、ただ汚いものとして見せない。

だらしなさを、ただ軽蔑されるものとして見せない。

人間の下半身的な弱さを、笑えるもの、愛おしいものとして提示する。

これは、かなり10種的です。

10種は、きれいなものだけを包むのではありません。

弱さも、欲も、情けなさも、だらしなさも、まとめて抱える。

西田さんの猪八戒には、その「人間を丸ごと見る目」が出ているように思います。

『探偵!ナイトスクープ』局長としての包容力

『探偵!ナイトスクープ』の局長としての西田さんも、10種的に非常に重要です。

この番組は、一般の人の小さな悩み、奇妙な依頼、個人的なこだわり、家族の問題、ささやかな夢を扱う番組です。

他人から見れば、どうでもよさそうなこと。

でも、本人にとっては大切なこと。

そういう依頼を、番組全体で受け止める。

その中心にいる局長には、かなり大きな受容力が必要です。

変な依頼を、ただ笑い飛ばさない。

くだらないと切り捨てない。

小さな願いを、ちゃんと受け止める。

泣ける話には泣く。

笑える話には笑う。

一般の人の人生を、そのまま番組の中に入れる。

西田さんの局長には、この「普通の人の小さな人生を受け止める器」がありました。

これは、10種的な博愛です。

大きな英雄だけを愛するのではない。

立派な人だけを受け入れるのでもない。

少し変な人も、困った人も、泣き虫な人も、家族のことで悩む人も、くだらない夢を持つ人も、同じ空間に入れる。

ここに、西田さんの10種的な大きさが見えます。

10種は「善なる母」でもあり「裏ボス」にもなり得る

10種は、単なる優しい人ではありません。

ここは、10種を考える上でかなり重要です。

10種は、マザーテレサ的にもなります。

弱いものを放っておけない。

小さきものを愛おしむ。

頼られると力が湧く。

みんなを自分の子どものように見る。

世界全体を抱きしめるような感性がある。

しかし、反対側から見ると、10種は裏ボスにもなり得ます。

なぜなら、10種の包容は、相手を自分の胎内に入れてしまうような力を持つからです。

優しい。

包む。

面倒を見る。

頼られる。

相手が安心する。

そして、いつの間にか、相手が子ども返りする。

この構造は、光にも影にもなります。

善なる母性にもなる。

一方で、すべてを自分の内側に入れてしまう巨大な支配にもなる。

だから、10種は面白いのです。

ただ優しいだけではない。

ただ包容力があるだけでもない。

包むからこそ、人が集まる。

人が集まるからこそ、場ができる。

場ができるからこそ、そこに一つの「ファミリー」が生まれる。

西田敏行さんの場合、その力は悪の裏ボスというより、もっと人情味のある親分性として見えます。

戦って従わせる親分ではない。

怖さで支配する親分でもない。

弱さまで抱えるから、人が寄ってくる。

そういう10種的な親分性です。

人が集まる人|前へ出ないのに中心になる

10種の大きな特徴の一つは、「人が集まる」ことです。

自分からぐいぐい前へ出るわけではない。

強い言葉で人を煽るわけでもない。

理屈で支配するわけでもない。

それでも、なぜか人が集まる。

西田敏行さんは、まさにこのタイプに見えます。

場の中心にいる。

でも、強引に中心を取りに行っている感じではない。

大きな体。

大きな顔。

大きな口。

大きな笑い。

大きな涙。

大きな人間味。

そこに、人が寄ってくる。

これは、7種的な支配ではありません。

5種的な前進力でもない。

10種的な「開き」です。

開いているから、人が入ってくる。

入ってきた人を、いったん受け止める。

だから、場の中心になる。

3種との違い|明るさではなく、包容

西田敏行さんには、明るさがあります。

愛嬌もあります。

子どもっぽさもあります。

そのため、3種的に見える部分もあります。

特に、浜ちゃんや猪八戒には、3種的な軽さ、食いしん坊的な愛嬌、感情の出やすさも見えます。

ただし、西田さんを3種主軸で見ると、少し軽くなりすぎる気がします。

3種の明るさは、もっと感情がぱっと外へ出る明るさです。

花がある。

気分が変わる。

好き嫌いが分かりやすい。

泣いたり笑ったり怒ったりが、外へ出やすい。

一方、西田さんの明るさは、もっと厚い。

笑うだけではない。

泣く。

抱える。

情けなさを受け止める。

人の弱さを自分の身体に入れる。

これは、3種の「花」より、10種の「包容」に近いと思います。

西田さんは、明るい人というより、人間を受け止める人です。

5種との違い|押し出す熱量ではなく、受け止める温度

5種的な人は、人を前へ押し出します。

動かす。

進ませる。

現実を変える。

場の温度を上げる。

「やれ」
「進め」
「変われ」
「前へ出ろ」

という力です。

一方、西田さんは、人を前へ押し出すというより、まず受け止める。

「まあ、いいじゃないか」

「お前も大変だったな」

「泣いてもいいぞ」

「腹減ってないか」

という温度です。

5種は、人を前へ出す。

10種は、人が戻れる場所になる。

ここが大きな違いです。

西田さんには、社会の中で疲れた人が、ふっと帰ってこられるような大きさがあります。

その意味で、5種的な熱量より、10種的な温度の人だと思います。

7種・8種との違い|勝負ではなく、人情

西田敏行さんには、強さもあります。

長く第一線で活躍し、映画、ドラマ、舞台、歌、司会まで幅広く仕事をしてきた人です。

その意味では、仕事人としての強さ、粘り、責任感も当然あったはずです。

ただし、表に見える魅力の中心は、7種的な勝負感ではありません。

相手を倒す。

張り合う。

勝ちにいく。

攻撃する。

そういう強さではない。

8種的な我慢や義理人情も一部あるかもしれません。

しかし、西田さんの中心は、我慢より包容です。

戦う親分ではない。

抱える親分です。

敵味方を分けるより、人間の弱さごと取り込む。

ここが10種的です。

9種との違い|集注ではなく、開き

9種と10種は、同じ開閉型です。

しかし、方向は逆です。

9種は、閉じる。

縮む。

一つの対象へ集注する。

納得できるまで掘る。

10種は、開く。

受け入れる。

包む。

さまざまなものを自分の中に入れる。

西田さんは、9種的な一点集中の人というより、10種的に開く人に見えます。

もちろん、俳優としての集中力はあったはずです。

しかし、見え方としては、特定の対象に閉じていく人ではありません。

むしろ、幅が広い。

役柄の幅も広い。

人間の幅も広い。

笑いも、涙も、庶民も、権力者も、欲も、善意も、情けなさも、自分の中に入れてしまう。

これは、9種の集注ではなく、10種の開きです。

10種の影|抱える人の孤独

10種を語るとき、明るい包容力だけで終わらせると浅くなります。

10種には、孤独があります。

人が集まる。

頼られる。

面倒を見る。

相手を包む。

でも、包む側は、誰に包まれるのでしょうか。

ここが10種の孤独です。

抱えられる人は、安心して子どもになれます。

しかし、抱える人は、なかなか子どもになれない。

泣かせる人は、誰に泣かせてもらうのか。

笑わせる人は、誰に弱さを預けるのか。

人間の情けなさを受け止める人は、自分の情けなさをどこへ置くのか。

西田敏行さんの笑いと涙には、この「抱える人の孤独」まで含めて見ると、かなり深くなります。

西田さんは、人を温かくする人でした。

しかし、人を温かくする人ほど、内側には大きな空洞を抱えていることがあります。

その空洞があるからこそ、人の寂しさが分かる。

人の弱さが分かる。

人の情けなさを笑い飛ばさず、抱えることができる。

ここに、10種の影があります。

俳優としての10種性|どんな人間も自分の中に入れる

俳優としての西田敏行さんは、非常に幅の広い人でした。

善人もできる。

情けない人もできる。

権力者もできる。

庶民もできる。

泣かせることもできる。

笑わせることもできる。

この広さは、10種的です。

10種は、相手を自分の中に入れる。

相手の弱さを見捨てない。

世界を広く抱える。

俳優にとって、これは大きな武器です。

一人の人物を演じるというより、人間の弱さ全体を抱える。

だから、西田さんの演技は、特定の役を超えて「人間そのもの」に見えることがあります。

きれいごとだけの善人ではない。

欲もある。

嘘もある。

甘えもある。

弱さもある。

それでも、人間は愛おしい。

この見方ができる俳優は、かなり10種的です。

消去法で見る

ここで、他の体癖との比較も整理しておきます。

1種|観念・理知主軸ではなさそう

西田さんは、言葉や観念で世界を整理する人というより、身体と感情で人間を受け止める人に見えます。

主軸ではなさそうです。

2種|聞く力より、包む力

2種的な静けさや慎重さより、西田さんには大きく包む力が前に出ています。

頭の鬱滞より、身体的な包容が強い。

3種|愛嬌・子どもっぽさはある

西田さんには3種的な愛嬌、子どもっぽさ、感情の出やすさもあります。

ただし、主軸としては3種の軽さより、10種の厚みが強い。

4種|幽玄・湿度より、温かい包容

壇蜜さんのような4種的湿度や幽玄さとは違います。

西田さんは、もっと開いていて、温かく、人が集まる方向です。

5種|前へ押すより、受け止める

5種的な前進力や現実処理より、西田さんには受け止める温度があります。

人を動かすより、戻れる場所になる人です。

6種|夢想・陰より、地に足のついた人情

6種的な夢想家性や陰の魅力より、西田さんはもっと地に足のついた人間味の人です。

7種|勝負より、人情

7種的な張り合い・勝負感・攻撃性より、人情と包容が前に出ています。

8種|我慢より、包容

8種的な我慢や粘りはあるかもしれませんが、主軸としては我慢より包容です。

9種|集注より、開き

9種的な一点への集注より、さまざまな人間を受け入れる10種的な開きが強い。

10種|最有力

人間味、包容力、父性・母性、人が集まる力、弱さを受け止める力として、10種が最も自然に見えます。

消去法のまとめ

体癖西田敏行さんへの当てはまり
1種観念・理知主軸ではなさそう。
2種聞く力より、包む力が強い。
3種愛嬌・子どもっぽさは一部ある。
4種幽玄・湿度より、温かい包容が前面。
5種前へ押すより、受け止める。
6種夢想・陰より、地に足のついた人情。
7種勝負より、人情。
8種我慢より、包容。
9種集注より、開き。
10種人間味・包容力・父性母性・人が集まる力として最有力。

壇蜜さんとの比較|白く沈む4種と、温かく開く10種

前回の壇蜜さん分析では、4種的な湿度と静かな色気を中心に見ました。

壇蜜さんは、白く沈む人。

感情がすぐには固まらず、他人の感情や視線を受け、湿度や幽玄さとして残す人。

一方、西田敏行さんは、温かく開く人です。

壇蜜さんは、余韻を残す。

西田さんは、場を包む。

壇蜜さんは、静かに沈める。

西田さんは、大きく受け入れる。

同じ偶数系的な受容性があっても、その出方はかなり違います。

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所ジョージさんとの比較|遊び場を作る人、帰る場所になる人

所ジョージさんは、3種的な軽さで日常を面白がる人として見ました。

所さんは、日常を遊び場にする。

西田さんは、人が帰ってこられる場所になる。

所さんは、大人のおもちゃ箱を広げる。

西田さんは、人間の弱さを受け止める。

所さんの魅力が「軽さ」だとすれば、西田さんの魅力は「厚み」です。

この対比も、3種的な日常の軽さと、10種的な包容力の違いとして面白いところです。

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林修先生との比較|採点する知性、抱える人情

林修先生は、1種的知性と5種的戦略で読むのが自然でした。

林先生は、対象を整理し、採点し、勝てる場所を見極める人です。

一方、西田敏行さんは、採点するというより抱える人です。

その人が正しいかどうか。

合理的かどうか。

勝てるかどうか。

そういう基準で見るのではなく、弱さも含めて人間を見る。

林先生は、言葉で構造化する。

西田さんは、身体で包む。

この違いです。

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今回の暫定結論

ここまで見てきたことをまとめると、西田敏行さんは10種主軸候補としてかなり自然です。

人が集まる。

弱さを受け止める。

情けなさを笑いに変える。

寂しさを涙に変える。

欲やだらしなさを、人間味として見せる。

場の中心にいるのに、強引に支配する感じではない。

ここに10種的な包容力があります。

西田敏行さんは、10種的な包容力と人間味の大きさを主軸に見るのが自然。
その魅力は、明るいだけでも、優しいだけでも、面白いだけでもない。
弱さ、情けなさ、だらしなさ、寂しさ、欲深さまで丸ごと受け止め、笑いにも涙にも変える大きさがある。

そして、そこには光だけではなく、影もあります。

抱える人は、孤独です。

人を包む人は、自分が包まれる場所を持ちにくい。

だからこそ、西田さんの笑いと涙には、ただの明るさではない深みがあったのではないでしょうか。

まとめ|西田敏行さんは、人間の弱さを抱える10種的な大きさの人

西田敏行さんを体癖的に見ると、単なる名優では終わりません。

人間の弱さを受け止める大きさ。

だらしなさを愛嬌に変える力。

情けなさを涙に変える力。

欲深さを人間味に変える力。

人が集まる場を作る力。

そして、抱える人の孤独。

これらが重なって、西田敏行さんという俳優の大きな魅力になっていたように思います。

今回の分析では、ひとまず、

西田敏行さんは、10種的な包容力と、人間味の大きさの人。
人間の弱さを笑いにも涙にも変えられる、開いた器の俳優である。

という仮説で見てみました。

もちろん、これはあくまで一視聴者としての考察です。

本人の本当の体癖や内面は、本人にしか分かりません。

ただ、体癖分析は、最初から正解を当てるものではなく、観察し、比較し、仮説を立て、新しい情報が出たら修正していくものだと思います。

西田敏行さんの場合、3種的な愛嬌や、8種的な人情、俳優としての集中力など、さまざまな要素も見えます。

それでも、全体として最も強く残るのは、やはり10種的な包容力です。

人間は、立派なだけではない。

弱い。

寂しい。

だらしない。

欲もある。

でも、それでも愛おしい。

西田敏行さんは、そのことを、身体ごと見せてくれた俳優だったのだと思います。

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